Feecleにて

kazoo_oo2007-08-02


Feecleでちょっとしたことがあって、ぼんやりと考えた。


久しぶりにネットは怖いと思ったし、
著作権とか肖像権とかいう、普段はわりと遠くにあるものを、
これまでになく身近に、だからこそ切実に考えた。
スルー力とかイナゴとかの単語も頭をよぎった。


べつに炎上とか祭りとか、そういうものには至らなかったし、
そもそもたいした騒ぎではない。
それは自分がことばを尽くした結果だとも思う。


だけど、それでも、


自分の周りで枯れ草がちりちりと音を立てて焼け広がっていくような、あの感じ。
それを正義と信じて疑わない火付け役や、ただただ炎が見たいだけの煽ぎ屋、カウンタ上だけにあらわれるたくさんの傍観者。
そこにある以上に猛烈な悪意をイメージしてしまう、あの感じ。
それはとてもとてもいやなもので。


でもあれを平気になる必要があるんだな、と思った。


そもそも数千数万の人間の中にことばを投げ込むと、必ず荒れるのだから。
万人を納得させることばは在り得ないのだから。
そこにゼロよりも大きな悪意が存在すれば、
どれだけことばを尽くしても、すべての火は消えない。


あらゆる声がダイレクトに届くというのはそういう世界で、
弾さんの言う「強靭さ」というのは、あれに耐える力なのだな。と思った。




そして、
そのちょっとしたことで、リンク(Feecleにおけるマイミクみたいなもの)が3人くらい増えたりした。


確実に存在する冷静さや誠実さや優しさの価値とか、
おそろしくまぶしい才能に触れるよろこびとか、
縁というものの面白さ、を考えた。


どつかれても声を発するひとたちは、
それ以上のものを得られるからこそ、どつかれても倒れない。
そういうことを思った。




まぁ、ひとつの発言が最大でも24時間程度しか残存しないFeecle界では、
荒れも祭りも一瞬の出来事で、次の瞬間にはまた誰かがくだらない上書きを続けている。
そしてネット全体がそういう風になっていくんだろうな、と思った。
スピードはもはや落ちることはないのだから。


お茶でも飲みつつペースを乱さず、
ときにはうまく逃げつつかわしつつ、
できれば曲げずに逃げずにまっすぐと、
いつか真の「優秀さ」を得られるまで、どんな形でも、声は発していたいなと、
思うしだい。



そんなこんなで、Feecleは面白いです。